「しかし希望がある」 06.07.30
コリントU5:6〜10
私たちの地上の生涯には、終わりがあります。
「天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時。死ぬ時。…」(コヘレト3:1-2)。私たちを生かし、
養い、導いてくださる神さまは、一番適切な時を見定めて、
終わりの時を与えてくださいます。
人の生涯だけでなく、この世界にも終わりの時があります。
それは、恐ろしく不安なことではありません。聖書の語る世界の
終わりの時は、戦争、災害などによる人類の滅びでなく、救いが
完成し、神さまの国が完成することです。世界の終わりに対する
信仰は、キリスト教会にとって大きな希望です。
世界の終わりの時には、「キリストの裁きの座の前に立つ」
(10節)と言われます。
その時には、イエスさまが裁く方として、すべてを正しく見抜き、
真に納得のいく判断をしてくださいます。
私たちは、しばしば、周りの人から誤解をされ、理解されず、
辛い思いを体験します。悪意にゆがめられた評価に悲しむことが
あります。
自分で自分に対して悪意ある誤解をし、自分を責め立てている
人も見かけます。
しかし、最後には正しく自分を見抜いて、納得のいく判断をして
くださる方がいます。他者や自分の評価に縛られるのでなく、
その方に身を委ねていく時に、辛さでなくて心強さが与えられます。
イエスさまから裁かれることは、緊張を伴います。良いところだけで
なく、悪いところもご存知のお方だからです。イエスさまを知らなければ、
終わりの裁きは恐ろしいことでしょう。
しかし、そこにおられるのは、私の罪を取り除くために十字架に
かかり命を捨ててくださったイエスさまです。私たちは自分の罪を
悔い改めて、この方に安心して身を任せたらよいのです。
終わりの時に向き合う方は、命がけの愛を示してくださった方です。
それゆえに、心強いのです。
世には不安が満ちています。
しかし、この世のゴールは闇ではなく神の国の完成です。
希望があります。
わくわくし、期待の心を持って、生きてよいのです。